看取り場所

どこで死ぬのか

突然ですが、皆さんは、どこで死にたいと思いますか?
年が若いうちは具体的に死と向き合う意識というのは多くないものです。
人生をどう生きたいかを考えることはあっても、どういった死方がいいかということは後回しにされがちです。

しかし死というものは生を受けた以上必ず訪れます。
そのことについて冷静に考えるということも生きる上での重要事項です。

日本において、死を迎える場所というのはいくつかの選択肢があります。
ただ、現在のところその多くが「病院」であるといえるでしょう。
このように「死ぬ場所」「看取る場所」というのが、今後の社会において大きな問題となるのではないか、とされています。

今では病院で死ぬのが当たり前になっている社会ではありますが、このような社会が形成されるようになったのはまだそれほど歴史があるものではありません。
ここには「医療の発達」というものが大きく関わっています。
医療が発展し、入院をすることで治せる病気が多くなりました。
その関係で、死が近づいた人は病院に入ることになり、そこで死を迎えることになるわけです。

しかし、戦後まもなくの頃を見てみると「病院死」する人の数は決して多くはありませんでした。
その数は割合にして2割程度で、それ以外の人は自宅で亡くなっていたのです。
医療の発達と病院制度の発展は私達に取ってもちろん有益なものではありますが、同時に「死の場所」の選択をできなくしてしまっている、1つの障壁だと考えられるかも知れません。
今後、この「死の場所」の問題はより大きな問題になっていきます。

それは、この日本という国の「人口構造」が理由です。
日本は極度の「高齢化社会」となっており、人口の四分の一程度が高齢者という人口構造です。
医療の発展によって長生きをする高齢者が多いですが、永遠の命というわけではありません。
いつか、今生きている高齢者の方々が、次々に死に始める、そんな時代が訪れることになります。

その時代はそう遠いものではありません。
試算によると2025年頃にはいわゆる「団塊の世代」の人達の「寿命のピーク」が訪れ始めると言われています。
こうなってくると、現在ですら不足していると言われることがおおい「病床数」がさらに足りなくなっていくことでしょう。
その流れのなかで、「病院死」が当たり前な時代は再び失われることになると考えられます。

ただ、これは必ずしも悲しむべきことではありません。
言い換えれば「死の場所」を考えられる、ということでもあるためです。
まだ自分で自分のことをしっかり考えられる内に、自分がどこで死にたいのか、どう死にたいのかを考えてみるのは如何でしょうか。

死の場所の選択肢

それでは、病院以外にはどのような「死の場所」の選択肢があるのかを考えてみましょう。
まずはやはり「自宅」です。
幸せな亡くなり方で耳にする、畳の上で死にたいという言葉。

自分が住んでいた、もっとも愛着がある場所で死ぬ、というのは1つの考え方でしょう。
住み慣れて安心できる場所で家族の人に看取られて亡くなるということはとても幸福なことだと思います。
しかし、自宅での死というのはまだ障壁があるのも事実です。

まず、この方法は家族に対する負担がどうしても重くなってしまいます。
介護や医療のことを家族に任せなければならず、お互いにとって負担になってしまうことがあるでしょう。
自分だけで決めるのではなく、家族と相談の上で決める必要があります。
また、病状などによっては選択できないこともあります。

次に「介護施設」が考えられます。
高齢者が多くなっており、世話をする若者が少なくなっている状況において、家族だけでの介護には限界が来ることが目に見えています。
そうなった時、「介護施設」の持っている意味は今以上に重要なものになるでしょう。
最近の介護施設には医療システムを完備している場所も多く、半病院、のようなものとして利用することができます。

今の所は、この3つが主な死の場所ということになるでしょう。
しかし、これはまだまだ「死の場所」に関する議論が国民的に広がっていないためです。
今後、多くの人が死に直面し、この死の場所について改めて考えるようになれば、その考え方は多様化していくことでしょう。
そうなった時には、その多様化した死の需要に合わせて、あたらしい死の場所が登場することも考えられます。