終末期を迎える患者、どう向き合うか?

人生80年ともいわれる現代、日本は超高齢化時代となっています。
そんな中、年制を重ねていく毎に最後の時間をどう迎えるべきなのか、またその為に何をしておくことが必要なのか、日頃、考える事が多くなったという人も多いでしょう。

終活しておかなければならないなど、現代の日本では最後の時を迎える前に、しておくべきことを考える事が必要とされていますが、終末期を迎える人をどう支えていくのかという事も、家族として、一人の人間として考えなくてはならない大きな課題です。
そんな終末期を迎える患者さんと向き合った看護師の尊い時間を伝える映画、「或る終焉」が注目されています。

患者を看取る看護師が主人公

終末期患者の看護師をしているティム・ロス演じるデヴィッドは、別れた妻と娘がいるのですが、息子「ダン」の死がきっかけとなって疎遠となっていました。
一人暮らしを続けるデヴィッドには、終末期患者とエクササイズに励むという事以外、生活に変わったことは一つもなく、終末期患者との親密な関係を持つことで一人の寂しさを紛らわせているような毎日でした。

デヴィッドは末期がんで苦しむロビン・バートレットふんするマーサに安楽死を希望されます。
患者に対して深い思いを抱いているデヴィッドは暗い過去を抱えている人物です。
その彼はどのような決断をするのでしょうか。

見所は独特な視点から描く登場人物の行動

この映画のセリフはとても少なく、次に何が起こるのかをセリフから得るという事がなかなか難しい英語です。
カメラはデヴィッドの毎日を淡々と追いかけ、死を目前としている患者さんのケアに誠心誠意尽くしている姿を捉えています。

建築家の患者には、建築関係の本を読み会話ができるように、友情が深まるように努力します。
患者が悲しいと泣きだせば、家族同様に抱きしめます。
何をしている時にも患者さんが必要と感じれば、ずっと手を握り締めています。

こうした行動を患者の家族が奇妙に思い、セクハラで彼を訴えるなど、「患者の事をしっかりとみない家族ほどこうした行動に出る」という現代の問題も提示している映画です。
患者に対し献身的に看護する姿、その一つ一つが心にぐっとくる作品になっています。
看護とは本来、こういうものなのだという事が伝わってくる映画です。

ビジネス看護ではない本来の看護

デヴィッドは看護が面倒なもの、病人は邪魔なものと考えてしまう事がある家族や周囲の人とは違い、終末期を迎えた患者さんに何が必要なのかを理解し、それができるように必死になります。
この姿こそ、本来の看護であると感じます。
病院がビジネス化せざるを得ない超高齢化時代の日本にあって、心と心を通わせる本物の看護とはどのような物なのか、この映画で知る事が出来ます。